140字の外側で

本当に言いたいことを書いてます。だらだらと

僕と3.11

どうも谷久鷺です。

小学2年生のときに仙台で被災した話です。

お急ぎの方は第二項からご覧ください。

4部構成の長文となります。Wikipediaを参照にした上で記事を書いておりますが、解釈の誤りが有るかもしれませんのでご了承ください。

 

①3.11について

まずは概要

「3.11」や「東日本大震災」と呼ばれていますが、地震単体については「東北地方太平洋沖地震」の名称が付けられています。

発生は2011年3月11日14時46分18.1秒。震源宮城県牡鹿(おじか)半島から東南東に130km、深さは24kmでM9.0を観測しています。

揺れについては、日本で観測史上3番目の震度7の揺れを宮城県栗原市築館で観測し、仙台市では震度6弱の揺れを観測しました。政令指定都市で6弱以上の揺れを観測したのは6年ぶりのことです。

断層の破壊は南北に400km、東西に200kmに渡って起こり、複数の震源が組み合わさって起きた揺れです。

地上では14時46分40.2秒に石巻市大瓜に設置した地震計で揺れを感知し、直ちに緊急地震速報が青森を除く東北各県に発令されました。予想震度と実測震度にズレが生じたため、青森県や関東地方では強い揺れを観測したものの、緊急地震速報の発令はなされませんでした。

 

②前触れと本震

ここからは実際の経験について綴っていきます。

 

2011年3月9日11時45分、当時仙台市の公立小学校に在学中だった私は授業中に校内放送で緊急地震速報を聞きました。即座に机に潜り身構えると比較的大きめの揺れを感じました。怖く感じることはなかったので「大きな地震」という感覚が残りました。

 

この地震についてWikipediaで振り返ると、M7.3の地震で最大震度は5弱だったようです。明確な前震かどうかは未だにはっきりしていませんが、影響があったことは(素人目でも)考えられます。また、翌日の3月10日にもM6.8の地震が発生しているようで、三陸沖では若干活発な状態が続く形になってしまったようです。

 

今日は2011年3月11日です。私の学校では放課後の掃除が始まりました。今日の担当は下駄箱です… 風こそありませんが、寒空が広がる寒さで雑巾しぼりも大変です。

もう少しで掃除も終わりという頃にかすかに緊急地震速報が聞こえました。校内放送用のスピーカーは近くにないのでよく聞こえませんが、一応心構えは地震が来る体でいました。

揺れを感じ始めてから数秒後、(これは絶対一昨日のよりでかい)と感じました。それと同時に下駄箱担当の女子の一人が教室へ走って逃げましたが、少しだけ弱くなってきました。そこから間もなく更に大きな揺れに襲われはじめ、バケツの水がこぼれだします。

*1
家族は大丈夫だろうか…などなど色んな思いが一瞬だけよぎりましたが、もう抵抗できない激しい揺れが続きます。目の前には下駄箱が(下で固定されてますが…)あり生きた心地がしません。駆けつけた先生が下駄箱を押さえに来ましたが、安心出来る状態ではありません。

死ぬときってこういう感じなのか…それよりこれは日本滅亡するのでは…という感情が小学2年生ながら湧いてきます。昇降口のタイル敷のブロックが歪みはじめました。幸い宮城県の学校の耐震化率は90%前後と聞かされていましたので、倒壊する訳はありません。

でもです、これはもうだめだと思ってしまいます。3分ほど強弱を繰り返して大きく揺れ続けます。ある程度揺れが小さくなってから教室を通り校庭へ避難します。教室はバケツの水がこぼれ、机の上に置かれた椅子は転げ落ち、一部の机は中身が散乱し倒れていました。

 

③避難と被害

校庭に一時的に避難をしましたが、先生たちは停電で校内放送が使えない等々混乱している状態です。雲も分厚く寒い中、保護者の引き渡しが始まります。私の親も迎えに来てもらえましたが、自宅までの道も大変です…

途中の一軒家は瓦が崩れ落ちて、一部の電柱は若干傾いています。なんとか自宅(3階建て社宅)にたどり着きましたが、地盤沈下により入り口に大きな段差ができています。一見すると建物が持ち上がったように見えますが、揺れによって地面側が下に下がったという状態で、揺れの強さを感じました。

部屋に入れましたが、様々な物が倒れています。食器棚*2は倒れ一部食器は割れて散乱し、大型の棚もリビングのテーブルにもたれ掛かっています。自室に向かうと、学習机のキャスター付きテーブルは1回転し、元の位置からはみ出しています。

一応自宅では倒れる物がない部屋がありましたので、そこで取り敢えず一夜を過ごす事とし、夕食は元々あった菓子類で済ませ眠りに付きました。

(このあとの話は長い上曖昧な記憶なので省略させて頂きます)

 

④3.11から得られたこと

やはり備えの大切さと言うのはかなり実感しました。私の住んでいた地域では1週間ほどで電気は復旧し、水道に続いてガスが復旧したのは1ヶ月後のことでした。

幸か不幸かわかりませんが、これほどの規模の都市である東京(首都圏)直下で大型の地震が発生したことはありません。考えられない事態が続出すると思います。

ライフラインの復旧に掛かる期間も途方も無い状況になることが安易に想像できます。どうかこれを読んだ皆様に防災の大切さが僅かばかりでも伝われば嬉しいです。

③の後半で出てきたように倒れる家具が無い部屋を作るのはとても有効です。逃げ場にもなりますのでおすすめです。

幸い私は親族を震災で亡くしたりすることはなかったので、前向きに振り返ることができますが、そうではない現実を抱えている方が居ることかと思います。そのような方のことも忘れずにしていきたいと思い、終わりとさせて頂きます。

長文ご拝読ありがとうございました。

 

参考にした資料

Wikipedia 東北地方太平洋沖地震

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87#

Wikipedia 東北地方太平洋地震の前震・本震・余震の記録

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%89%8D%E9%9C%87%E3%83%BB%E6%9C%AC%E9%9C%87%E3%83%BB%E4%BD%99%E9%9C%87%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2

Wikipedia 東日本大震災

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD

 

*1:https://youtu.be/EOXdGF5GPkQこちらの動画を見るとわかりやすいですが、地震の第二波のほうが大きいことが明らかです。画面真ん中上の仙台市若林区の映像ですが、動画の2:00頃に第二波が来た瞬間、置いてある棚が全て倒れる程の揺れがわかるかと思います

*2:ちなみにこの食器棚は現在も修繕の上使っています